Jリーグ第2節:川崎フロンターレーヴィッセル神戸
神戸2日目。アイマスの申し込みを終えて、一路ホムスタへ。
敵の色繋がりか?ランダム再生してたら『ワインレッドの心』
が流れる。現在、神戸在住の中学時代の友人と駅で合流する。

スタジアム外に売店コーナー。アウェー客にも売ってくれた。
僕らのアイドル・我那覇選手のグッズに手が伸びそうになる。
だいぶ見慣れてきたけど、ワインレッドのガナにまだ違和感。

さて、2時間前にホムスタ内部に入る(上写真参照)。デカイ。
流石はサッカー専用スタジアム、臨場感がぜんぜん違う。羨ましい。
とはいえ、このスタジアムで川崎は昨年、一昨年と勝ててなかったり。

神戸はホーム初戦。会場入りの映像。ツネ様がスーツ姿からして
イケメンすぎて眩しい。そりゃ、タオルマフラーも14が多いわけだ。
あと、川崎のゴール裏にヴィッセルのマスコットが挨拶。神戸は牛だ。
川崎サポが近鉄帽子を被せる(笑)近鉄のバフィー再就職できるんじゃね?

川崎は過去2戦とオーダー変わらず。前線はブラジルトリオ+チョンテセ。
神戸はけが人のため前線の選手は変更。残念ながら、ガナも怪我で欠場。
(ただ、スタジアム内のFM解説で登場。もちろん川崎サポは拍手喝さい)

試合は前半から川崎の前線が猛攻をかけるも、ツネ様を中心としDF陣に
なかなかゴールをこじ開けられず。特に我らがジュニが石櫃に完封される。

とはいえ、前半はまだ流れは良かった。過去3試合では一番良かったかも。
何とかテセが前半終了間際に先制することもできた。しかし、後半早々に
追いつかれてしまい、嫌な流れ。

川崎は連携でうまく繋がらない。憲剛のパスがなかなか通らないシーンが。
攻めあぐねる川崎に対して、フリーを作った隙に交代したFWに決められる。

その後の攻勢も実らず、逆転負け。次の浦項戦(ACL)に響かぬといいが。
今年の川崎はサイドを生かした攻撃を目指しているが、両サイドバック
が機能してないのが難。やっぱ川崎は3バックじゃないと駄目なのかな。

しかしまぁ、試合後のツネ様もセクシーすぎる。水も滴るいい男だった。
どんだけ眩しいんだ。強面顔の選手が多いDF陣の中で、あまりにアレだ。

アウェーで負けると敗戦のショックが大きい。もうグッタリですよ。

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前日、宝塚にて手塚治虫記念館に行ってきた。途中、宝塚大劇場を横切る。

いつかは、生で見てみたい宝塚歌劇。しかし、女性のみが見るのを許される
ような、格式のある、厳かな雰囲気がいいわけだけど。

手塚記念館は想像したより大きな施設ではなかったが、非常に面白かった。
筆者は小学生のころに手塚先生の自伝漫画などを読んだことがあるので、
大体の道程を知ってはいるが、資料などから新しく知ることも多かった。

例えば、作品の作り方。シナリオの段階で、小説や脚本形式で書いた原稿
を見ると、一人で原作者と作画をこなしていたように思える。また、有名な
スターシステムには、自ら「スター名鑑」を作成して、キャラクターの格付け
や仮想ギャラまで設定していた。やはり作りこみにも拘りを感じる人であった。

また、大人向けアニメ(=アニメラマ)やキャラクタービジネス(=虫プロの
アトムなどの版権管理)、演劇や映画の手法の導入など、全ては手塚先生の
元に通じているんだなぁと。改めて、アニメ界においても手塚先生の始祖で
あるということを実感した。これでアニメーターの賃金とかも何とかして
くれてたら万々歳だったのだが。まぁ、時代が時代だけに何ともいえないが。



WBC東京ラウンド GAME1:日本-中国
WBC東京ラウンド GAME1:日本-中国
WBC東京ラウンド GAME1:日本-中国
7日の前哨戦も兼ねて、行ってきました。
平日だというのに、本当にドームは超満員。
試合前の球場に漂っていたのは、異様なまでの浮つき加減。
そんな空気を反映するような、ファンタスティックな試合を
観客側は期待したのだろう。

そうと思いきや、フアン(不安)タスティックな試合に
なったんだから野球はわからない。

以下、観戦を終えて、印象に残った点。
整理のため、野手編、投手編で分けて考えたいと思う。

■ 野手編

不安タスティック4(筆者命名)な
メジャー4選手が無安打をはじめ、5安打に終わった。
1、2回の攻撃で3塁までランナーを進めながら、
あと1本出なかったのは悔やまれるところ。

3回の村田の本塁打前にここで1、2点取れていれば、
試合展開も違うものになっただろう。

しかしながら、四球による出塁が多く、三振も少なかったことは評価できるのでは。
2番の中島は無安打であったが、3度出塁している。さらに青木が当たっていたので
原監督構想におけるミッションは果たせていたと思う。

4-6番には安打が出ている。あとは勝負どころで打てるかどうかが7日への課題だ。

守備に関しては今のところは問題なし。イチロー・城島は、好プレイも見せてくれた。

■ 投手編

ダル―涌井―山口―田中―馬原―藤川、7日に向けて主要な投手陣を登板させてきた。
抑え二人がやや制球に苦しんだように見えたのが不安。結果論であるが、緊張感
が残ったマウンドでなげられたことは、大勝ムードの登板と比較すると良かったかも。

中国の投手はスピードが全体的に緩やかな印象を受けた。
4点目のボークはピッチャーが呆然としていた。まぁ、ドンマイ。

■ その他

外で並んでいて、後ろの女性二人が今季の贔屓チームのオーダーなどについて話す。
自分も知らない選手が多いと思ったら、早稲田だった。野球ファンの裾野って広いわ。

レプリカユニ率高。一番人気はイチロー。
イチローコールやフラッシュの焚かれようを見ると、昔のパワプロの
「イチロー」という特殊能力のことを思い出した。

皇太子殿下夫妻が観戦、始球式が王さんと試合前の高揚感も独特のものだった。


さぁ、次は大勝負。
■ テレ朝:スポーツ名場面集

テレ朝のスポーツ映像でも貴重なものが結構あった。
特に、ボウリング中継や新日本プロレス関係なんてのはテレ朝だけだろう。

貴重なスポーツ番組の映像、テレ東もいっぱいあるんだけどね。
例えば、プロレスは国際プロレスや第一次UWF、マニアック団体の中継してたし、
サッカー人気前夜、評価の高かった「三菱ダイアモンド・サッカー」も放送してたし。

気になってたのは、猪木アリ戦。見たら、通説である猪木説(アリ側の陰謀)を適用。

一昨年、プロレスファン間で『1976年のアントニオ猪木』という書籍が話題になった。
Number出身の著者が、1976年に行った猪木の4試合にスポットを当てたノンフィクション。
ただし、関係者のインタビューが中心で、猪木への取材はなかった(後にNumberで実現)

あの番組の中にも登場した、新間さんは過去の手記で猪木節とは異なる説を語っている。

猪木説と新間説の差はルールミーティングの攻防である。

ジョーさんも仰っていますが、番組の中で「投げ技・関節技禁止」と述べていましたが、
この節だと頭突きやエルボー、頚椎・ノド・金的攻撃やスタンドからの蹴りの禁止だけ。

番組で提示されたルール(猪木説)じゃ「あれじゃ、猪木圧倒的不利だろ」と頷くが、
新間説では「ボクサーは殴って倒す レスラーは投げて、極めて倒す」という本来の戦い方
のバランスを取ったルールが認められたことになる(レフリーのジム・ラーベンなども証言)

では「舞台裏ルールは誇張しすぎ。正しいルールも結構、バランスがとれいていた」ならば
(つまり、新間説を支持したならば)、猪木側はいかにグラウンドに持ち込むかが課題と
なっていたのだろう。未来人たる我々の答えは「タックル」の一択であるだろう。

しかし、猪木はタックルの技術がなかった。なぜなら、猪木はアマレス経験がないから。
さらに、彼に技術を指導したカール・ゴッチはロックアップから始まるプロレスの試合には
タックルを必要しないとして伝授していない。

試合中に何度か試みたタックルは腰が高く、アリのパンチも入るほど危ないものだった。
ちなみに、プロレスにおいてタックルが技術的に指導されるようになったのはC大レスリング
出身の桜庭和志の登場。彼がUWFインターの道場で披露するのは、約20年後の未来なのだ。

あの番組風にいえば「真実」なのは、以下の点ではないだろうか?

・モハメド・アリはエキシビションマッチを前提に来日したこと
・実際の試合は真剣勝負であったこと
・猪木のローキック(いわゆるアリキック)でアリの足が粉砕されたこと
・日本におけるプロレスと格闘技概念の大きな転換点であったこと


通説の強み、バイアスの概念、エピソードの説得力がいかによく作用するかがわかった。
特に「アントニオ猪木というバイアス」が力強かった。まさに、ストロング・スタイル。

しかしながら、昭和のプロレスが持っていた独特の緊張感を醸し出されていたのも確か。
こういうプロレスらしい、白か黒か割り切れない底なし沼の感覚が私は大好きですね。



あと、10・19は、プロ野球名勝負列伝の書物では必ず取り上げる名勝負。
以前、紹介したこともあるニコニコにあった「パリーグの一番長い日」を再掲。

■ 【野球】パ・リーグの一番長い日-1
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1935419

冒頭の森監督と堤オーナーのコメントもそうだが、西武側もヒヤヒヤだったようで。
1979年の「江夏の21球」といい、近鉄は日本の野球史の中で損な役回りが多すぎる。
なんか、大阪つながりでJにおけるセレッソ大阪に近いかも。長居の悲劇もそうだけど。

あと、フロンターレがどんだけ頑張っても「川崎はプロスポーツが根付かない」という
通説がいまだに有力なのは、川崎球場とヴェルデーのエピソードが説得力あるんだよね。

川崎のプロスポーツ、最後の希望。。 それがフロンターレなんだよなぁ。
私は今回のWBCに野球ファン生命をかけます。その決意は、北京五輪のときから考えていました。
黄さんともお話ししましたが、日本野球は学生野球であれば、100年近い歴史を持ってまして、
プロ野球も半世紀以上の時代を刻んできた、まさに日本の国技の一つともいえるスポーツです。

夏以降、あの敗戦を二度と繰り返してはならない「No more Peijin!」と祈る日々です。
もし仮にこうした事態が再び起こるものならば、私は歴史と伝統ある日本の野球に対する思い
をどこにぶつけるべきでしょうか。WBC代表は少なくとも、日本の野球ピラミッドの最上部に
位置する人たちで形成されているはずです。それが無様に負けたならば、私は手をあげて応援
する気持ちは中途半端にならざるを得ません。

だから、十数年の野球ファンとしての思い全てをこの大会にぶつけたいと思います。

WBCは、日本野球の誇りを取り戻す戦いなんです。

ということで、告知です。東京ラウンド観戦ツアーです。

http://www.wbctr.jp/summary/

ダブルイルミネーション制。仮に見に行くなら日韓戦の可能性大のGAME3/4の3月7日ですかね。
前大会の状況を見て、即売切れはないと思うんですが、早めに指定席Cか外野指定席でとろうと
思ってます(4500円―5000円)

身内の方で参加したい方がいらっしゃれば、コメントかメールで連絡ください。
一応、来週水曜日までにご一報いただければと思います。
マチャラめぇ
アラビア圏の動画サイトでへばって応援してたのに。
来るべき、オーストラリア戦に暗雲立ち込めすぎだ。
イエメン戦で精彩欠いた香川君をわざわざ使った結果がこれだよ。

エイジがせっかくスタメンだったのに。
川口、楢崎からゴールを奪い取るどころか、危険だ。


ここからフィンランド戦、オーストラリア戦と調子を上げていかないと。
ちなみにフィンランド代表にアヤックスCL優勝の立役者でもあるリトマネンがいるらしい。
Foot!の倉敷アナウンサーが大好きなんだよな、リトマネン。番組で触れるかどうかも注目。

テレビ局。厳しいアウェーこそ中継しろ。もう寝る。。。
論文を終え、バンチでやってた「オーレ」読破。その影響で「サカつく04」プレイ。
徹夜で2年目をプレイして朝5時に52節終了。J2優勝で、J1昇格達成する。
勝ち点100を超えても昇格圏じゃない。90勝しても優勝できない「やきゅつく」だ。

エル・コラッゾの(ようやく立ち直り)湘南の監督になった反町さんインタビューで、
J2とかJ1下位チームで育成しながら勝つってのは大変なことを語ってた。若手選手の
出場機会がなかなか増えてこないのもそこら辺かも。鹿島は育成しながらチームを
強くしているんだからスゴイ。補強から、鹿島出身の関塚さんもその流れを感じる。

「オーレ」の話に戻るんだけど、最後が完全に打ち切りモードなんですが、これからの部分が
本当は見たかったところ。アマチュアリーグへの降格は防いだものの、主力選手の引退や復帰
(舞台となるチームのエースストライカーはレンタル移籍選手だったのだ)に始まる、オフの
苦闘と主人公が市役所からの出向からクラブの正社員への転職、ドイツの下部クラブの現状。

これを受けて、どうやってチームを盛り上げて、1部を目指すのかというドラマが見たかった。
イベントとか、専スタとか、筆者もやりたかったネタが多かっただろうに。それが残念だな。

最近、完全版が出た『U-31』と同じくらい最後の帳尻がもったいなく感じた。

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サテライトや2軍の試合環境を整えないと、って話は野球でも同じように語られている。

巨人もそうだけど、ベテランのリハビリ施設じゃダメなんだよな。

高校の時に見に行った年1回の2軍のドーム試合なんて、上原と斎藤雅が調整登板すること
が予告されていたせいで、3万人も見に来ていてビックリした。四番が堀田だったなぁ。

今年から試合数も大幅に増えたし、太田君も入ったことだし、ヤングG達が躍動するチームを。
中井選手もそうだけど、生きのいい若手も結構いるから、面白いと思うんですけどねぇ。


神風は吹いたか?
■ 最終節:東京ヴェルディ1969-川崎フロンターレ
最後の望みを託して声援を送ったが、鹿島の壁を破れず。2位フィニッシュ。
3試合で10得点で3試合連続完封と出来杉君だったが、前の不調が悔やまれる。
長いシーズンでそういう時期はあるが、そこで踏ん張れるのが王者かな。

結果を見た瞬間、ガムさんが貼った「ジェフの奇跡的な残留」を思い出した。
前半の結果で1-0で負けてて(しかも後半は一時2-0)、そこから4-2って。
巻さんカッコよすぎ、フクアリに神が乗り移ったと思った。ニュースは全部見た。
結果的にベルデーを降格に追い込んだわけで、元は川崎と名がついていたチームで、、
小学生のころは好きだったチームですからね。恨み節のほうがありますけど、複雑な心境です。

我那覇の川崎ラストゲームにもなって、ルーキー時代から見てきた選手だから泣けてきます。
J2に降格して17から27に戻り、石崎さんの頃に才能を開花させ、代表戦でゴール決めたり。
今年の復活ゴールも綺麗な放物線でした、まさに「ちゅらゴール」。新天地での活躍に期待。
出来れば敵になっても応援しやすいチーム。。。。

そして、2度目のACL進出。金をためて、海外遠征するぜ。アジアですよアジア(春香さん風)
こんなこともあろうかと?川崎は何気にセパハン(イランのチーム)と提携したからなぁ。

天皇杯も負けちまったから、サポ活動は3月まではお休み。

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K-1 WGP2008

準決勝までは「超」がついてもいいほど名勝負連続で拍手喝采モノ。見逃さないでよかった。
バダ・ハリのアーツ戦、エロジマン戦といい、レミーのグーガン・サキ戦といい、いや最高。
レミーのサキに決めたミドルは「最強ハイキック(って技)みたいだ」と大はしゃぎでした。

それだけに決勝は悔やまれる、かなり近年のK-1ヘビーではベスト興業候補だっただけに。

決勝のアレで、ゲスト席の西山さんがガチ泣きしてた理由を述懐すればですね、
フジテレビの「SRS」という格闘技情報番組の最後のアシスタントが西山さんであり、
今までもバダ・ハリ応援のために色々とやってきたんですよね。最終回はバダ・ハリが
卒業する西山さんに所属チームのTシャツをあげたりして、イイハナシダナーだったし。

TBSの年末とってつけの応援とはわけが違うんだよね。そうした意味でも、複雑でしたわ。


んで、年末のカードマダー?

エロ自慢

2008年12月4日 スポーツ
エロ自慢
忘れないうちに。土曜日はK-1のワールドグランプリ決勝戦です。
ここ最近、ジョーさんの感想で結果を確認して「そうだった」が多いので。
私の大注目はエロール・ジマーマン選手、略してエロジマン(=エロ自慢)。
前に情報番組でこのネタが流れていて、大笑いしたのを覚えています。

こんなニックネームで怒ってるんじゃね、と思ったら

「誰のアイデアから知らないけど、この場を借りて“エロ自慢”というニックネームをつけてくれてありがとうと言いたいね。凄く気に入ってるんだ」とニッコリほほ笑んだ。

記者に「意味を知ってるのか?」と問われると、ジマーマンは「もちろん知ってるさ。セックスアピールがあるってことだろ? これからは自分のことを“エロジマン”と呼んでくれていいよ。エロで自慢できるポイント? 自分の身体を見てもらえばわかるだろ? ハハハハハ!」と、Tシャツをめくり上げ、自慢の肉体を披露しながら豪快に笑い飛ばしたのだった。(kamipro.comより)


愛すべきキャラじゃないですか(笑)エロ自慢、最高!(秋山の「柔道最高!」風に)
ちなみに私がプッシュする選手は大抵、初戦敗退です。ビヨン・ブレギーとか。。。

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サッカー

6日はサッカーもあるから、K-1は忘れないように録画しておこう。

最近、たまに読んでるサッカー新聞「エル・コラッゾ」で入れ替え戦注目カード特集があって、
これ絡んでるチームからすれば嫌がらせだよなと思った。まぁ、たしかにセレッソとジュビロ
になって森島と名波が出てきたりすれば、そりゃあ感慨深いけどさ。しかし、残念ながら退団
が決定となってしまう「昇格請負人」岡山が仙台をJ1に引き上げてくれるのも期待してるさ。

川崎はトーナメント制だった入れ替え戦しか経験してないからな。でも、わが身だとしたら
腹立たしい。ちなみに来年からはJ2増えるので3チーム自動降格。これはJ1的に厳しいぞ。

あと、自分の中学のOBで地元出身の箕輪選手が札幌完全移籍が悲しい。川崎山脈、正式解散。
佐原、我那覇、箕輪と苦しいJ2時代を戦ってきた選手達が離れていくのは時代の流れですかね。

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エロ自慢

とりあえず翔壱書店がなくなって、エロマンガ・アイデンティティクライシスです。
ああ、sodやdmmの月額ブロードバンドは便利だが、当たり外れのスリルがないのがアレですね。
「芸能人」ジャンルはAVとしてサイコロジーを感じないんですけど、谷沢のんが割と好きだ。

うん、自慢でも何でもない。

暇つぶしで書き溜めてたものです。本当は野球飲みのときに語るネタに使おうと
思ってたんですが、日本一がかかっていたので(笑)この先はまだメモ書き程度です。
例によって異論反論はどうぞどうぞ、身内の野球者は見識がしっかりしている方々なので。
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■ 前提・仮説1:日本におけるオリンピック至上主義
日本に限ったことではないだろうが、国単位でのスポーツとスポーツ競技者を
見てみたときに、その多くのスポーツがアマチュアスポーツであり、プロ契約
した選手が少ないことが見受けられる。近年、陸上競技や柔道でも導入が検討
されているプロシステムだが、現段階では実業団ないしは専業とは別の競技団
に所属するアマのトップ選手が代表選手として派遣されているのが現状である。

そのせいか、スポーツ=五輪のイメージが非常に定着している。東京五輪までは
やはり国家発揚的な行事であったことは否定できないが、それ以降の五輪大会でも
五輪は他国と比較しても非常に高い位置づけを占めてきたため、スポーツの世界で
オリンピック市場主義が指摘できると思う。

比較対象として、アメリカという国を挙げてみよう。例えば、アメリカの場合は
今五輪ではマイケル・フェリプス選手の活躍が際立ったとされるが、一方で国内の
では盛り上がりに今一つ欠けていたという。筆者はこれがアメリカはプロスポーツが
非常に盛んであることからギリギリ冷戦構造下hあったとして、今は国家発揚行事とも
いえず、一部競技を除けば、さほど重要視されていないのではないかと考えている。
(例外として、水泳競技の決勝が午前中だったのはアメリカの働きかけによるものだ)
また、欧州や南米といった地域でも五輪とはまた異なったワールドカップという大きな
国際大会の存在も無視することができない。

各国と比較した国際大会やスポーツ環境のチャンネルが少ないことと、一方で、
多様なスポーツでの裾野を広げている日本という国のスタイルにおいて五輪というのは
国民の間で親しみと注目を浴びている行事として認識されていると私は考えている。


■ 前提・仮説2:アテネ五輪前の五輪野球の位置づけ
日本の中でプロスポーツとして長い歴史を持っているのは野球と相撲である。
余談だが、相撲は日本最古のプロスポーツであり、成功を収めている興業スポーツ
であると考えている。相撲ほどの歴史はないが、プロ野球も半世紀以上の歴史を持つ。

一方、五輪野球の歴史は公開競技として始まったのでさえ野球大国・アメリカで開催した
ロサンゼルス五輪以降であり(公開競技は開催国のお家芸のような競技を入れるものらしい)
言うなれば、五輪競技の中でも歴史が浅いものだ(ここが実はサッカーとの違いでもある)

日本野球界においてプロ解禁以前の五輪野球競技は、さほど注目されなかったと考えられる。
もちろん、五輪競技=アマチュア選手にとって世界最高峰の位置づけ、目標であることには
疑いはないが、日本の野球界において、その上に歴史あるプロ野球があったからである。

■ 仮説1・2の整理
日本において国威発揚としての機能を終えてもなお、オリンピックは国家的イベントとして
注目されている。それは日本のスポーツ競技とアスリートの大半がアマチュア競技者であり、
五輪が最高峰として位置していることも大きく作用している。その一方で、野球は例外的に
プロスポーツとして日本で醸成された競技として、99年までピラミッド構造上、プロ>五輪が
決定づけられていたと考えることができる。

■ 現状分析1:プロ解放以降の五輪野球に対する意識の変化
棲み分けができていたせいではないだろうが、知っての通り日本は公開競技時代を除いて
金メダルを獲得していない(金メダルを獲得した時も予選敗退も、キューバのボイコットで
繰り上げ参加である。記事資料としてはNumber709 710号の「あの金メダルをもう一度」を
挙げておく。筆者の身内の方で読みたい方がいらっしゃれば、コピーを差し上げます)しかし、
アマとしては群を抜いていたキューバ(アジア内では台湾)が君臨していたこともあってか、
さほど話題にされていたことはない(余談だが伊藤智仁VSジェイソン・ジアンビーなど、
今考えると奇跡のような、野球ファン生唾ものの対戦もあったりする。ソフト化希望(笑)。

結果的として、現在の五輪野球の位置づけの基礎となったのはシドニー五輪のプロ解放以降だ。
そして、それが本論文における日本代表の土台と言ってもいい。WBCというフットボールにおける
W杯に近い(これはあくまで近いわけで同じ位置とはいえない)国際大会が開催され、昨今の世論も取り分けWBC日本代表だが、たたき台として、それまでの日本代表の歴史を忘れてはならない。

プロ参加が認められたのは00年のシドニー五輪、その出場に向けた予選大会からである。

当時の全日本の主力選手はプロが参加することで、それまでのパワーバランスが大きく崩れる
ことを既に把握していた。それは98年秋のアジア大会での野球決勝での経験だ。日本は上原、
二岡をはじめとした主力選手がプロ入りのため代表を離れて、入れ替えをせざるえなかった。
一方で韓国はパク・チャンボ(当時・ドジャース)をはじめとしたプロ主体の編成で望んだ。
結果は先制打者の本塁打の1点しかとれずじまい、13-1というコールド負けを喫した。

五輪予選前から大田垣監督(当時)は大敗の経験を生かしてないチーム編成事情に苦しんだ。
当時、中学生だった私が買い集めていた資料での各証言によると、監督の意図の介せない部分
でのプロ派遣選手も決まっていたようで、しかも予選はぶっつけ本番での実戦という完成度は
言うに及ばない「試行錯誤」の全日本チームだった。それでも、松坂-古田バッテリーの奮闘
もあり、韓国に次ぐ予選2位で突破する。本大会に進めたが、大会前に古田の派遣中止を決め
るなどセ各球団の不協力姿勢が明確に現れたりと、予選以上に苦しい編成を強いられることに。

本戦は4勝3敗で4位で予選を突破しながらも、3位決定戦で韓国に敗れ、4位に終わった。
余談となるが、この五輪の二試合で松坂を打ち砕いているのがイ・スンヨプ(現・巨人)だ。

現在になって振り返ってみると、準備万全のキューバ・韓国、若い才能ある選手に経験を
積ませることをベースにしてベテランとの融合、ラ・ソーダ監督という名将が率いたアメリカ
と比較すると1枚も2枚も落ちる戦力だったと私は考える。専門誌も「金メダルを目指して」
と煽ってはいたものの、冷静に分析してみると、厳しいレベルにあったことは理解できる。

■ ここまでの「現状分析」のまとめ:シドニーという一つの分岐点
以上のように、日本が競技開始から5大会目にして初のメダルなしに終わった衝撃は、その後の
「長嶋ジャパン」組閣にも見えるように、野球大国の権威をぐらつかせたのは言うまではない。

プロ解放と敗戦により、私は日本野球のピラミッドの枠内から五輪野球の概念が外れたことで、
日本国内に従来からある五輪至上主義の価値観にも触れあうこととなり、代表の意味に対し、
大きな変化をきたしたのではないだろうか。次回、これについて書くときは、現状分析として、
長嶋ジャパンから星野ジャパンについて書いていこう思う。

以 上
あきらめたらそこで試合終了ですよ(横断幕より)
安西先生、優勝したいです。

■ Jリーグ32節:川崎フロンターレ-ガンバ大阪
行ってきました、首位と勝ち点差3と首の皮1枚だけ優勝の望みが残っている。
川崎が全勝した上で他力本願的に他チームの敗戦を願うしかないという状況だ。
安西先生が仰っているように、あきらめたら負けですね。だから最後まで声援

・再来年、川崎に「藤子F不二雄ミュージアム」が出来るらしく、ソラえもん号が。
(懐かしい、それこそ小学生の頃にコロコロとか学年誌で取り上げてたけどね)
・新宇宙開拓使予告編流れる。00といい、サッカー場でアニメ情報を仕入れている気が。

・川崎サポのアイドル!! 木口美和子さんと茜ゆりかさんが座っているゾーンの近くに来た。
・朝の席確保のために並んでいたら寒かったけど、日差しが異常に強くて暑く感じたほどだ。

・前半、一進一退の攻防が続いていたが、形としては川崎がおされていた気がする。
・CBの寺田、井川がしっかりと相手攻撃陣のスピードと高さに対応で来ていたのが頼もしかった
・先制点は川崎がCKからテセが打点の高いヘディングから先制、いい流れで前半を折り返した

・後半から右サイドバックの森がキレキレで削りまくりで突破、追加点の足がかりを作る
・2点目は谷口のミドル、3点目はその森のクロスにジュニ―ニョが合わせて試合を決める
・ダメ押しの4点目は攻撃陣がなだれ込んできたところでヒョイと出てきた井川がゲットする

・終盤は川島の好セーブもあり、守備で抜け目のないように全員できっちり守るサッカーを展開
・結果は4‐0で完勝。鹿島も勝利して首位との勝ち点差は埋まらず。それでも3位には浮上。
・次節はホーム最終戦で好調な神戸戦。撃ち合いになりそうだが、それなら負けないぞ。

ガチャピン教授遠藤ヤットさんと二川を欠いていたり、クラブW杯を控えていた
チーム情勢もあるとはいえ、いい形でラスト3の初戦を白星で飾れたのは良かったなぁと。
特に天皇杯は広島のゼロトップ(ローマかよ)の前に完敗だっただけに、悪い流れだったしね。

とにかく残り180分+ロスタイム、川崎と共に闘いますよ。
越智、顔をあげてくれ!!
まずは、西武ライオンズならびにファンの皆様、優勝おめでとうございます。
巨人も西武も不完全燃焼のない、持てる力を出し切ったシリーズだと思います。
戦力に関してはけが人などに両チーム泣かされてきましたが、それでも現有戦力は
使い切ったと思います。なので、負けたのは実力差ということで間違いないと思います。

次に、負けてはしまったものの、ジャイアンツも今年1年間で大きく飛躍したと思う。
全員野球でペナントリーグを戦い抜き、CSで昨年の雪辱を果たし、奪回まであと一歩と
迫ったものの、あと一歩足りなかったですね。原監督の不動心(バイト先に色紙がある)
であるとか采配にも信念というのを感じましたし、名将になれるかもと第一次政権に比べると
かなり感じています。そういえば、最近、話し方の間合いとかは長嶋さんに似てきましたね。
そんなチームですが、まだまだ来年以降に伸びしろはあると思います。原チルドレンが育った
ときこそ、巨人の黄金時代の鼓動が聞こえてくるのではないかと思ってますよ。

最後に越智、今年1年間フル回転してきた彼をファンが責めるわけがない。よく頑張ったよ。
この思いを胸に来年もマウンドで思いっきり腕を振ってほしい。僕はマウンドで躍動する彼の
姿を見るのが大好きなんだ。だから顔をあげてくれ!! 1年間、お疲れ様。


来年も魂と誇りを胸に、ジャイアンツを応援していきますよ。
この6年間で巨人ファンは叩かれても立ち上がる「胆力」を磨いてきましたから。
原監督と共に GIANTS PRIDE !!
絶対に負けられない戦いが「明日」ある!!
83年も第6戦で江川と西本が打たれて逆王手されて負けたんだよな。
興業論なんて関係ない。ポストシーズンは勝つしかない、勝たなきゃ駄目だ。
明日は内海か、ビビるなよ。泣いても笑っても伝説最終章、正座でG+観戦だ。

インドアにアウトドア
今日は両国まで浮世絵を見に行ったり、プロレスを見に行ったりしていました。


美術館、てっきり「大琳派展」にいくものだと思い込んでいたら、ウチの弟が
行きたがってたのは「ボストン美術館所蔵 浮世絵名品展」だったらしいので。

日本史に詳しい方ならご存知だと思いますけど、世界で最も浮世絵を
所有しているのはボストン美術館(明治時代のお雇い外国人が大量購入した)。
ですから、教科書などに掲載されている有名な浮世絵の中でも、日本には残ってないもの
もあるんですね。欧州に渡った浮世絵も万博で持ち込まれた陶磁器の包み紙代わりだったし。


ベタですが、創生期の鈴木晴信の錦絵、北斎や歌川派の絵というのは素晴らしかった。
北斎の絵のベロ藍であるとか、絶妙な遠近法であるとか、学部の時の芸術史のことを
思い出します。芸術史とエンターテイメント法と社会学は本当に好きな授業だったよ。

あと、源氏物語をなぞって現在(当時の江戸時代風)に絵を描いてみたり、
遊郭の花魁と詩をモチーフに描いたというのもあったり、昔からリバイバルとかコラボ
みたいなことはしていたんだなと思ったり。弟の花魁の浮世絵=アイドルグラビア説は笑った。
本当、こういう馬鹿センスは似ているというか、思考回路が似ている。

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プロレス

■ NOAH「Autumn Navigation 08」最終戦
ノアの10月ツアー最終戦。半年ぶりのノアであり日本武道館での観戦。
観戦目的は1試合、メインの丸藤正道 VS KENTAのダブルタイトルマッチ。

2年前の1月武道館(そういえば前日が奈々ライブで武道館連戦だったりする)の
一騎打ちを観戦して鳥肌モノの試合を展開し、10月の試合でも死闘を繰り広げた。
06年のベストバウトを獲得した試合だけであって、ゼロ年代プロレスのトップブランド。

試合は丸藤の近年の試合では最も輝いた、前のKENTA戦からの2年の集大成のような試合。
ジュニアとヘビーの中間に位置する体格でスピード、技の完成度、可変性、意外性を表現。
06年にMVP間近と言われた頃を凌駕した、それくらいのシングルレスラーとしての評価が。

60分引き分けという、よく考えれば、その手もあったかという結末だったが、拍手喝采。
何だかんだで丸ケン対決はモノが違うよ、お互いのベルトをこれからも高めてほしいですわ。


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てなわけで、CSは今日は携帯観戦だったわけです。そして「奪回」を目指して。
6年ぶりのGL決戦ですね。ちなみに私のアシスタントの相方は所沢在住の西武ファンです。
クライマックスシリーズ 第2ステージ:巨人-中日
運よくチケットが取れたので、行ってきました。3塁側ですけども。
四方をユニ着用の気合の入った中日ファンに囲まれて、肩身が狭かったです。

初回の2被本塁打でどうなるかと思いきや、中盤以降は1点を争う展開に。
延長無しで4時間オーバーの試合というのは、それだけもつれた試合でした。
巨人は、シーズン後半戦の「全員野球」で戦力を総動員したが勝てなかった。

起用については、原監督も悪くなかったけども、やはりグラが5回もたずで
降りてしまったことで、結果的にリリーフのカードが無くなってしまったことが
大きい。9回は中軸を迎えることもあって、クルーンを起用することは想定内で
あったが、やはり同点で使いたくはなかったというのは正直な話ですね。

1勝のアドバンテージは、初戦に勝つことで意味が出てくると思っていただけに
私的にはすでに無意味になったような。レジェンド打線の奮起に期待しようか。。

タカヒロ離脱したら痛い。中堅としてだけでなく、1番打者がいなくなるのは痛い。


ついでに、大橋のぞみちゃんが始球式だったのでテンションが異常にあがった。
FF(フロンターレ フォルティッシモ)
ダメヲタがポニョの歌を毎日口ずさんでいたのはレナチーニョのためなんだ。
のぞみたんがかわいかったからではない(目を泳がせながら)

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■ Jリーグ27節:川崎フロンターレ ― 柏レイソル
サポーターさん、コクリツですよコクリツ(2戦連続だけど、春香さんっぽく)
てなわけで、ナショナルスタジアム(カビラっぽく)、国立競技場に行ってきた。
ナビスコカップでも同組だったので今季4度目の対戦となる柏との対戦だったり。


柏のサポーターはユニークで見どころ多いので、中継は30分前からやってほしい。
楽器とかはあるけど、サウンドを普通にBGM使うチームはレイソルだけだろうな。
いや、エレクトリカルパレードはすごかった。サポの斜め上いくセンスが素晴らしい。


試合はいやド派手な試合でした。開始0分でチョン・テセが先制点を挙げるものならば、
ケンゴのゆりかごゴールあり、ポニョ風応援歌のレナチーニョが初ゴールを決めてくれたりと
前半だけで4得点を挙げて、出来杉君だったんですが、後半はミスがぽろぽろ出て2点差に。

そこで決めてくれたのが、川崎の太陽、帰化申請断念で落ち込んでたジュニ。
僕らと同じ青黒の血(notラーゼフォン)が流れている、ジュニーニョは川崎人だって!!

ようやく今年の生観戦勝率が初めて5割到達(12試合:5勝5敗2分)長かった。。。

次節は大分、J屈指の守備力を誇る大分と攻撃サッカーの申し子・川崎というわかりやすい構図。
シャムスカ大佐とウェズレイがいないアタックチャンス。とるしかない、全体に負けらんねぇ。

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贔屓チーム抜きにしても、今秋はJもプロ野球も1試合も見逃せない大混戦で面白すぎる。
本当、いろいろなスポーツを見ていて本当に良かったとかみしめる今日この頃です。


温めていたレビューなのだが、忘れる前に書いてみる。
昨今、ヌルヌルや亀田でTBSと格闘技興行のあり方について問われた。
TBSと興行スポーツの歴史を紐解けば「国際プロレス」にあたる。

力道山率いる「日本プロレス」が日本初のプロレス団体である。
団体の背広組の吉原功氏が独立して設立されたのが国際プロレスだ。
(その経緯については、複雑かつ長くなるので省略する)

現在のライブプロレスとは異なり、時代はTVプロレス全盛だった。
当初は放映もなく、馬場・猪木といったスター選手もいなかった国際は動員に苦しむ。
そこで吉原社長が交渉を持ったのがTBS、S43年1月から放映がスタートが決まった。
外部からの相談役も外部から呼び、経営権は吉原氏からTBS主導の団体となる。

放映開始のシリーズの目玉としては、世界王者・ルー・テーズに若手レスラーを挑戦させた。
名レスラーに若きエースが勝利することで「シンデレラストーリー」を演出するつもりだった。

もちろんテーズは断ったが、説得により納得したフリをして試合をすることに。
結果、3本勝負の1本目にテーズのバックドロップに沈んだ若手選手は失神により棄権。
(これは後の当事者の証言によると失神をしたフリをしていろと言われたらしいが)

TBS側の思惑はコレによって大きく外れて、団体のイメージもダウン。
その後もトラブルが続いて、TBS側が経営からは2ヶ月で撤退したのだ。
(こうやってみると時代は繰り返すというか、いろいろと考えさせられるものである…)
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前置きはここまで(飽きられてるだろうが)、DVDの内容が本題だ。
この「伝説の国際プロレス」はTBS放送時代の名場面が収録されている。
上記のような大変な出だしだったが、このDVDを見る限りでは非常に濃い内容だ。

時折、国際プロレスを「パイオニア団体」と表す言葉がある。
当時は未開の欧州からの外国人選手の発掘、国内初の金網デスマッチなど。
他の団体ではやってない、見たことのないことに挑戦していたのが国際だった。

エースとなったのは「風雲たけし城」でお馴染みのストロング金剛(小林)さん。
今や「気合いだ」で有名なアニマル浜口さんのキャリアもここから始まってる。

有名なアンドレ・ザ・ジャイアントも国際で始めて脚光を浴びた選手だ。
当時としては珍しいショーマンタイプのレスラーや技巧派レスラーも多く来日している。
その時代を知らない当方としては、非常に新しい発見の多い光景であった。

試合内容としても内容は濃いものが多いが、地味に思えたのかもしれない。
スター選手がいなかったことや新日本・全日本の新団体旗揚げで観客動員にも苦しんだ。

TBSからの放送打ち切り後は、テレ東での放送される国際プロレス。
(テレ東時代の映像は「不滅の国際プロレス」として3月発売予定)
各種デスマッチ・流血凶暴な外人との戦いは、今日のデスマッチの原点だろう。

昭和プロレスの新たな一面を覗ける、貴重なDVDでした。

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