『レコード・コレクターズ』 (2011年07月号 特集:キャンディーズ等)
2011年6月18日 アイドル
『ミュージックマガジン』をはじめ筆者は音楽雑誌をそこそこ買うが、
買うときはいつもアイドル関連であることは言わずもがな。真面目に
文献収集である(笑)本誌は表紙を見た瞬間、即買ってしまった。。
第1特集にキャンディーズ。「スー」こと田中好子さんが亡くなられて、
スポ新各紙が大きく取り扱うほど、このグループの残した大きな足跡と
いうのを再確認させられた。本誌はレコードや楽曲を通して、70年代に
燦然と輝いたキャンディーズのムーブメントを振り返るといった内容だ。
78年に後楽園球場で開催されたコンサート「ファイナルカーニバル」の
レポートが再録される等、当時の熱まで伝えんとばかりの熱さがあった。
■ 「奇跡の9カ月間」
キャンディーズの最大のインパクトは、本書でも大きく取り上げられている、
ステージ上での「解散宣言」から後楽園球場のファイナルコンサートまでの
9か月間の熱狂であるだろう。流行語になった「普通の女の子に戻りたい」の
突然の発言から、最後の舞台に向けてメンバー・関係者・ファンが同じ方向に
向かって進んでいった。。それが日本中を巻き込んでいったのだからスゴイ。
ネットもない時代から考えたら、末恐ろしいムーブメントである。
常々、私がキャンディーズ関係の文献を読むとセットのように出てくる
「全国キャンディーズ連盟(全キャン連)」なる組織の強固な組織力に
驚かされるものだ。。最近、彼らが蔵前国技館コンサートを仕切ったり、
後楽園球場の開催を進言したとか、主催者側じゃないかと、思わされる
ほどの内容を目の当たりにして、スゴイ時代だなぁと感心させられる。。
■ ライブアイドルの先駆けとして。。
というのも、これはマクロな視点で考えると彼女たちが当時のアイドル
では珍しくライブアイドルだったことが背景にあることも考えることが
できる。特に70年代の頃はアイドルはテレビから作り出され、多くが
テレビでの歌番組と言うのがメインな時代である。組織力のある熱狂的
なファン層が形成されたのも、ファンとの距離にも大きく影響している
ことが非常によくわかる。ある意味、今のAKBファンのルーツのような
ものだろうな。
また、ライブ活動を1つの軸にしていたことからも、いかに彼女たちの
パフォーマンス力が周囲を魅了していたのがよくわかる。考えてみれば
後楽園球場のステージを3人だけで4時間ひたすら歌い、踊り続けたのだ。
それだけでも凄いことだ。実際ベスト盤などでライブ音源などを聴いた
が、とにかくコーラスワークがとても綺麗で聞き入ってしまうことも。。
それに重ねるような軽快なバンドサウンド、ファンの絶叫などもまた、
現代の熱狂的なアイドル現場にも全然引けを取らない熱い現場だろう。。
そして、楽曲の多様性もまた目につく。カバーを含めて洋楽色の濃い楽曲も
あれば歌謡曲ど真ん中もある。ピンクレディの阿久悠先生のような作詞家が
世界観を作り出すようなかたちでもなければ、後のTKやつんく氏のような
プロデューサーが出てくる前で、そうした多様性が本誌のような音楽誌でも
評価されるような楽曲を残してきたということになる。。
■ 青春の光
そうした彼女たちに若者たちが熱狂していった。70年代の若者といえば
60年代の学生運動が落ち着きを見せ、今とはまた違った形で停滞感が漂う
時代のいわゆる「しらけ」世代。そうした時代を生きた当時の若者にとって
キャンディーズの明るさは元気を与えてくれた存在だ、という証言をよく目
にする。まさに「青春の光」だったのかもしれない。
AKBのファンにとって、彼女たちがそうした青春の光となりえているのなら、
改めて、我々のような外野が騒いではいけないのかもしれない。
■ 1つの理想としてのキャンディーズの姿
私はアイドルの話をするとき、キャンディーズを理想のグループにあげる。
理由は2つある。1つは人気絶頂の時に華やかなかまま終焉を迎えたこと、
もう1つは解散しても多くの関係者・ファンの記憶で鮮やかに生き続けて
いること、そして愛され続けていること。本当に素晴らしいことだと思う。
出会いあるもの、形(グループ)あるもの、いつかは何らかのかたちでの
別れが来てしまう。だからこそ、綺麗なまま、そして記憶の中で残ってて
ほしいわけだ(その点では売上では到底及ばなかったピンク・レディと、
彼女たちの大きな違いではないかと思う)。
NHKがかつて製作したキャンディーズの軌跡をおったドキュメンタリーが
「わが青春のキャンディーズ」であったが、そう、あの時代の若者
の青春の1つの結晶がキャンディーズを巡るムーブメントなのかもしれない。。
買うときはいつもアイドル関連であることは言わずもがな。真面目に
文献収集である(笑)本誌は表紙を見た瞬間、即買ってしまった。。
第1特集にキャンディーズ。「スー」こと田中好子さんが亡くなられて、
スポ新各紙が大きく取り扱うほど、このグループの残した大きな足跡と
いうのを再確認させられた。本誌はレコードや楽曲を通して、70年代に
燦然と輝いたキャンディーズのムーブメントを振り返るといった内容だ。
78年に後楽園球場で開催されたコンサート「ファイナルカーニバル」の
レポートが再録される等、当時の熱まで伝えんとばかりの熱さがあった。
■ 「奇跡の9カ月間」
キャンディーズの最大のインパクトは、本書でも大きく取り上げられている、
ステージ上での「解散宣言」から後楽園球場のファイナルコンサートまでの
9か月間の熱狂であるだろう。流行語になった「普通の女の子に戻りたい」の
突然の発言から、最後の舞台に向けてメンバー・関係者・ファンが同じ方向に
向かって進んでいった。。それが日本中を巻き込んでいったのだからスゴイ。
ネットもない時代から考えたら、末恐ろしいムーブメントである。
常々、私がキャンディーズ関係の文献を読むとセットのように出てくる
「全国キャンディーズ連盟(全キャン連)」なる組織の強固な組織力に
驚かされるものだ。。最近、彼らが蔵前国技館コンサートを仕切ったり、
後楽園球場の開催を進言したとか、主催者側じゃないかと、思わされる
ほどの内容を目の当たりにして、スゴイ時代だなぁと感心させられる。。
■ ライブアイドルの先駆けとして。。
というのも、これはマクロな視点で考えると彼女たちが当時のアイドル
では珍しくライブアイドルだったことが背景にあることも考えることが
できる。特に70年代の頃はアイドルはテレビから作り出され、多くが
テレビでの歌番組と言うのがメインな時代である。組織力のある熱狂的
なファン層が形成されたのも、ファンとの距離にも大きく影響している
ことが非常によくわかる。ある意味、今のAKBファンのルーツのような
ものだろうな。
また、ライブ活動を1つの軸にしていたことからも、いかに彼女たちの
パフォーマンス力が周囲を魅了していたのがよくわかる。考えてみれば
後楽園球場のステージを3人だけで4時間ひたすら歌い、踊り続けたのだ。
それだけでも凄いことだ。実際ベスト盤などでライブ音源などを聴いた
が、とにかくコーラスワークがとても綺麗で聞き入ってしまうことも。。
それに重ねるような軽快なバンドサウンド、ファンの絶叫などもまた、
現代の熱狂的なアイドル現場にも全然引けを取らない熱い現場だろう。。
そして、楽曲の多様性もまた目につく。カバーを含めて洋楽色の濃い楽曲も
あれば歌謡曲ど真ん中もある。ピンクレディの阿久悠先生のような作詞家が
世界観を作り出すようなかたちでもなければ、後のTKやつんく氏のような
プロデューサーが出てくる前で、そうした多様性が本誌のような音楽誌でも
評価されるような楽曲を残してきたということになる。。
■ 青春の光
そうした彼女たちに若者たちが熱狂していった。70年代の若者といえば
60年代の学生運動が落ち着きを見せ、今とはまた違った形で停滞感が漂う
時代のいわゆる「しらけ」世代。そうした時代を生きた当時の若者にとって
キャンディーズの明るさは元気を与えてくれた存在だ、という証言をよく目
にする。まさに「青春の光」だったのかもしれない。
AKBのファンにとって、彼女たちがそうした青春の光となりえているのなら、
改めて、我々のような外野が騒いではいけないのかもしれない。
■ 1つの理想としてのキャンディーズの姿
私はアイドルの話をするとき、キャンディーズを理想のグループにあげる。
理由は2つある。1つは人気絶頂の時に華やかなかまま終焉を迎えたこと、
もう1つは解散しても多くの関係者・ファンの記憶で鮮やかに生き続けて
いること、そして愛され続けていること。本当に素晴らしいことだと思う。
出会いあるもの、形(グループ)あるもの、いつかは何らかのかたちでの
別れが来てしまう。だからこそ、綺麗なまま、そして記憶の中で残ってて
ほしいわけだ(その点では売上では到底及ばなかったピンク・レディと、
彼女たちの大きな違いではないかと思う)。
NHKがかつて製作したキャンディーズの軌跡をおったドキュメンタリーが
「わが青春のキャンディーズ」であったが、そう、あの時代の若者
の青春の1つの結晶がキャンディーズを巡るムーブメントなのかもしれない。。
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