■ はじめに
「国民的アイドルグループ・AKB48」と呼ばれるようになると、
予測できた者がいただろうか。おそらく、劇場に通わっている
熱心なファンでも、ここまでの飛躍は予想だにしなかったのではないか。

立憲声優会にあるアイドル声優調査会は、世の中にあるアイドルシーンを研究し、
声優業界の発展に寄与する機関(笑)として、発足した(ことにする)ものだ。

2009年は「AKB48現象」について研究を(それなりに)続けてきた。本報告書は
「元アイドル声優ファンがこのブレイクをどのように見たのか?」という批判の
されない程度の微妙な立ち位置から、この現象に対する分析を行ったものである。

■ 総論:発足当初の手法とは異なる現在のブレイクのかたち

AKB48が最初にその知名度を高めたのは、グループ発足当初であった。
調査会は、これは「秋葉原ブランド」によるものだと考える。

◇ アキバブランドへの注目との相乗効果

AKB48の発足当初の売り文句であったのは「会いに行けるアイドル」であった。

発足前後、秋葉原が従来までのイメージ「電器街」から「オタク文化の発信地」
として注目されるようになり、観光地として多くの人が訪れていることが話題と
なっていた。そうした場所に常設型の劇場を設置し、アキバを訪れる人に公演を
提供するというのが旧アソビットのイベントスペースを改修したAKB劇場であり、
AKB48というアイドルグループであった。

アイドルとしては前代未聞となる形態であること、同時に稀代のヒットメーカー
秋元康氏がプロデュースすることもあって、話題を呼び、ある一定の知名度を得た。
前後して、電車男ブームもあったりして、秋葉原のオタクカルチャーの一例として
も取り上げられ、最終的には、アキバ枠という謎のベクトルで紅白出場を果たす。

◇ 常設型会場の功罪

ケーススタディとして、観光地に常設型会場を設置して興行を提供するというかたち
ではスペル・デルフィンが立ち上げた当初の大阪プロレスや現在の沖縄プロレスなど
が挙げられる。実際に前者は大阪の観光名所として取り上げられ、知名度を高めた。

また、秋葉原は石丸電気・ヤマギワソフト(当時)・アソビットシティを筆頭に
アイドルイベントの聖地でもある。オタというよりアイドルファンの流動性も高い。
固定客を獲得するには、ある意味でベストな場所ではないか。実際、発足当初から
秋葉原に足を運べば、劇場のあるドンキ前では長蛇の列を見かけることができた。

ただ、常設型会場は不利な点もある。1つは、常連が一般客の流動性を低下させること。
固定客の存在は水モノと言われる興行レベルでは頼もしい存在であるが、同時にキャパ
を占拠するため、一般客・新規参入者を受け入れる数を削ることにもなりうる諸刃の剣。
アクセスも人の往来も多い場所であるという利点を潰すようなことにも繋がってしまう。

もう1つは、外部発信がしづらいこと。内部で興行を回すと、外部への情報発信
が限られてしまい、大本営またはファンによるレポ頼みということになってしまう。
実際、アキバブームの相乗効果で取り上がれた後、一連の「AKB48商法」報道まで、
一般メディアが取り上げる機会は皆無に等しかった(深夜枠でテレビ番組は得たが)。

◇ 握手会のメガイベント化で作り上げた新しい「会いに行ける」スタイル

AKB48は、こうしたグループ離陸期のシステムとは違うスタイルでブレイクを果たした。

その一端を担ったのが一連の大握手会イベントである。これはCDについている参加券が
あればメンバーと握手ができるというもので、それを大きな箱で開催するといったもの。
しかも、1枚で1人ということで、枚数があれば枚数分だけ多くのメンバーと握手が可能。

通常のアイドルイベントならば「特定の店で購入し、その店のスペース」というスタイル、
ハロプロ系アイドルであればCDイベントは抽選式(何枚かっても外れるものは外れる形)。
そうした既存のスタイルから考えると(シングルであることも含め)、かなりの高条件で
あり、キャパ・会場が桁違いの規模で実施していることがわかるのではないか。

メガイベントは同時に従来のシステムの不利な点も克服したと調査会は考察する。
握手会であればキャパは無制限となり、コア客ならば何十枚も買うことで楽しみは
増すし、もちろん1枚でも参加することもできる。参加方法等に幅が出てきたのだ。

これは特に、いつの時代もアイドルの潜在的なファン層になりうるだろう、中高生に
大受けしたようだ。現場の中高生率が急激に上昇しているという話を聞くが、これは
敷居が高く、参加しにくいはずのイベントに気軽に参加でき、なおかつ握手までできる
新しい「会いに行ける」スタイルの力が大きいのではないか。

また、劇場でもピンクチケットという若者・女性向けのチケットがだされているらしい。
ファンの定着に向けた取り組みも行われているという。

もう1つは、マスメディア・広告起用の異常なまでの増加といえよう。とにかく読売新聞
をはじめ、雑誌・テレビに露出を続けた。結果的にこれがグループ全体の知名度を高めた。
ネットメディアはあれど、結局はマスメディアの影響力がより大きく・広範なわけである。
こうした情報発信の推進力が、大きな躍進を遂げたといえる。

◇ まとめ:離陸期とブレイク期のシステム基盤の相違

ここまでの内容をまとめると、以下のようになる。

離陸期:アキバブランドへの注目による相乗効果、劇場型公演による固定客の確保

ブレイク期:メディア露出による知名度向上、メガ握手会イベントの若年層の取り込み


極端にいえば、発足当初と現在とでは真逆の手法を用いていると言える。ただし、
ある程度のファンが増えた時点で従来のやり方では回せないことも容易に想像できる。
仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。

------------------

ここまでは総論的なもの。次回は報告書の核たる元アイドル声優ファン的な視点で
過去のケーススタディを通じて、ブレイク現象に対する考察を述べていきたいと思う。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索