今年、もう何冊目か忘れた漫画家の自伝風マンガものの一つ。
本作は『ゲッサン』で連載中の島本和彦先生の半自伝的マンガ。
弟と『Giant Killing』とのトレードで手にして、読んでみたが
マンガ家というより、2巻まではヲタク青春録に近いかもしれない。
物語は1980年代、漫画家かアニメーターを志して大阪芸術大学に
入学した主人公・焔燃(ホノオモユル)は当時のアニメ・マンガ界に
吹き荒れる新風を目にしながら、将来も自分はこの舞台に上がってやろう
と野望に燃えながらも、何も手をつけず、悶々とした日々を過ごす。。。
島本先生がモデルであろうホノオの同期には庵野秀明氏が在籍しており、
さらにガイナックスの山賀氏、ボンズの南氏といった面々も顔までいる。
マンガ業界(小学館)を見渡せば、高橋留美子やあだち充が本格的に
台頭をはじめ、アニメを見れば宮崎・大塚コンビのルパン、安彦氏、
そして先日亡くなられた金田伊功氏(作中ではホノオが女子学生に
対して、熱心に009のOPでの金田ワークを説明している場面がある)
など、ムーブメントの胎動を直に感じていたのだろうと考えられる。
そして何より、学生らしく時間はあっても、金がないという状態。
自分自身もそうだが、こうした不便さもまた情熱の注ぎどころである。
ビデオデッキが希少だった時代、とてつもない集中力でアニメを見る
ホノオや庵野氏。ネットなき時代、高橋留美子の新連載「めぞん一刻」
や細野不二彦の登場に思考を巡らせる日々。流れる時代の違いを感じる。
私の時代にも、これとは違った苦闘もあったし、私より一つ下の世代にも
異なる暗闘があると思う(00年代初頭ならば「げんしけん」もヲタク青春像
を描いてみせた、と捉えることも可能だろうか?もちろん、偏ってはいるが)。
ただし、以前アイマスライブでブルーノートさんが仰っていたように、
「異なる時代を比較するには、それを取り巻く環境の違いも考慮する」
わけで、そこに優越はない。誰しもが、懐古思想的にはなるとしても。
だから、どの時代にもヲタなりの苦闘があったことを知る文献としても
評価されているのではないか。そうした意味では、自伝風マンガよりも
時代の奥行きを感じる。、そのせいか、読み応えがある感触を受けたり。
なお、言うまでもないと思うが島本節は炸裂。この「熱さ」がたまらない。
島本ファンの同期・さっちん氏の感想などを聞いてみたい。
本作は『ゲッサン』で連載中の島本和彦先生の半自伝的マンガ。
弟と『Giant Killing』とのトレードで手にして、読んでみたが
マンガ家というより、2巻まではヲタク青春録に近いかもしれない。
物語は1980年代、漫画家かアニメーターを志して大阪芸術大学に
入学した主人公・焔燃(ホノオモユル)は当時のアニメ・マンガ界に
吹き荒れる新風を目にしながら、将来も自分はこの舞台に上がってやろう
と野望に燃えながらも、何も手をつけず、悶々とした日々を過ごす。。。
島本先生がモデルであろうホノオの同期には庵野秀明氏が在籍しており、
さらにガイナックスの山賀氏、ボンズの南氏といった面々も顔までいる。
マンガ業界(小学館)を見渡せば、高橋留美子やあだち充が本格的に
台頭をはじめ、アニメを見れば宮崎・大塚コンビのルパン、安彦氏、
そして先日亡くなられた金田伊功氏(作中ではホノオが女子学生に
対して、熱心に009のOPでの金田ワークを説明している場面がある)
など、ムーブメントの胎動を直に感じていたのだろうと考えられる。
そして何より、学生らしく時間はあっても、金がないという状態。
自分自身もそうだが、こうした不便さもまた情熱の注ぎどころである。
ビデオデッキが希少だった時代、とてつもない集中力でアニメを見る
ホノオや庵野氏。ネットなき時代、高橋留美子の新連載「めぞん一刻」
や細野不二彦の登場に思考を巡らせる日々。流れる時代の違いを感じる。
私の時代にも、これとは違った苦闘もあったし、私より一つ下の世代にも
異なる暗闘があると思う(00年代初頭ならば「げんしけん」もヲタク青春像
を描いてみせた、と捉えることも可能だろうか?もちろん、偏ってはいるが)。
ただし、以前アイマスライブでブルーノートさんが仰っていたように、
「異なる時代を比較するには、それを取り巻く環境の違いも考慮する」
わけで、そこに優越はない。誰しもが、懐古思想的にはなるとしても。
だから、どの時代にもヲタなりの苦闘があったことを知る文献としても
評価されているのではないか。そうした意味では、自伝風マンガよりも
時代の奥行きを感じる。、そのせいか、読み応えがある感触を受けたり。
なお、言うまでもないと思うが島本節は炸裂。この「熱さ」がたまらない。
島本ファンの同期・さっちん氏の感想などを聞いてみたい。
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