神山監督の作品と出合ったのは、高校の終りに差し掛かったころ。
丁度、OVAで『攻殻機動隊 S.A.C』のリリースが始まり、当時から
押井信者であった私は押井監督以外の人が作った「攻殻」に関心を
抱いていた。当時の小遣いではなけなしの金をはたいて1巻を購入。

1話を見て、押井作品とは異なる刑事ドラマのような匂いを醸し出す
作品には非常に新鮮さを覚えた。しかし、それ以上に収録のもう一つの
エピソードに、私はある種の衝撃を覚えた。本作品の代表的エピソード
ともいえる『暴走の証明』を初めて見たからである。。。

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本書は現在『東のエデン』も絶好調(らしい)神山健治監督が、
雑誌『STUDIO VOICE』で連載されていた文章を中心に、長編映画の
監督経験がない同氏の「映画(監督)とは何か?」について考察した内容。

彼の到達点は、師匠の押井監督と同じように「アニメーション監督」という
より「映画監督」がゴールのようである。あまり映画を見ないアニメファン
が読むと残念な思いをするのでは、というほどアニメを取り扱った事例が少ない。


実際に、現場で活躍している神山氏なだけあって、制作過程の細部まで触れた
考察の深さは、コラム連載とはいえ、ある種の「理屈っぽさ」さを感じるとこ。

読んでいて、私が非常に興味深いと思ったのは「構造」という部分への考察だ。
特に『補講』の項で藤津亮太(アニメ評論家)のインタビュー形式の発言で
述べていた「物語の外側に持つ構造」という部分が興味深かった

「映画」と作品を見るうちに浮かび上がる「現実社会」(=外側の構造)
がリンクしてくるのが面白いという意見は大賛成。一つの作品に対して、
様々な視点や思考を提供してくれる構造がないと、私はのめり込めないし。

ちなみに『東のエデン』はマンガ的なモノを前提とした上で、この外側を
意識した作品づくりを意識しているそうで。私もそこが好きだったりする。


なお、連載中に短編実写映画『新・女立喰師列伝』にて監督も経験する。
筆者も見ているが、他の監督作品と比較してもCGなどは一切使わず、ある素材と
役者の演技(神山監督含む)だけで勝負した「シンプルな作り」の印象を受けた。

本書を読んで、監督の意図として、この作品をケーススタディーとして捉えていた
のだと知り(たしかに試行錯誤している印象は受けたが)、妙に納得させられた。
後々、彼が映画監督として名をはせたら「学食のマブ」は再注目されるだろう(失礼)

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最近、私もDVDなり劇場に行くなりして積極的に映画を見ている。
思うところは色々とあるのだが、一つは06年の文化庁メディア芸術祭
のアニメ部門で、審査を担当していた冨野監督が講評で述べていた
「映画的なもの」に対して、自分なりの答えを探し始めたからだ。

「(テレビ作品も含めて)アニメにおける【映画的】とは何か?」

神山氏自身、自分のテレビ作品を「映画的に」作っていると述べている。
『暴走の証明』なんかはいい例だが、構造という点では映画のような重厚さを
獲得している。今後、彼が(自ら)言うところの作家性なり自分の武器が確立
されるかは非常に注目すべき部分である。そして、師匠・押井監督のように、

「早く映画撮っちゃいなよ」

と言いたいところなのだ。神山監督、劇場で待ってますよ!!

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