■ 仮説1:疑似家族ドラマ
1期の感想の中で、私は『みなみけ』に疑似家族ドラマという仮説を立てた。
話が進むにつれてマコちゃん、冬馬といった虚実が入り混じった家族が完成度を
増していき、結果として違和感の無い空間を作り出したことを指摘したからである。

■ 仮説2:空気感の表現とトレンド分析
周囲の二期での感想をなどから、私は『みなみけ』が支持される最大の要因は、
空気感の表現だと考える。ゼロ年代になって、ヲタク層を中心に一定の支持を
集めたアニメーションのコア要素として、私は以下の変化があったと考える。

前期:キャラ(多彩なキャラクター配置)
中期:空間(特殊な舞台設定、コミュニティ)
後期:空気感(コミュニティが作り出す「目に見えない」雰囲気)


ゼロ年代前期はキャラ、ヒロインの配置方法に工夫が凝らされ、結果としてキャラの傾向に
「妹」や「ツンデレ」といったトレンドが発生した(ツンデレブームは、一般メディアで
アキバ系という名前が取り上げられるようになってから起こったと考えることもできるが、
筆者はその下地はゼロ年代前期に完成していたと考えている)。

しかし、キャラクターがインフレ状態になり、キャラの配置が支持率を獲得する要素
とはなりえなくなってきた。そこから、キャラが所属するコミュニティの特殊性が
支持されるようになってきた。代表作として『ハチミツとクローバー』における美大
コミュニティ『ARIA』における惑星AQUAなど、アニメ化する作品には舞台設定の多様性
が目立ってきたと考えられる。そして『みなみけ』がそうであるように、その空気感が
今度は支持されるようになってきた。近年の劇場型のストーリー展開で支持されるアニメ
が増えてきたが、それは、キャラやコミュニティの中で生まれてくる空気(時には殺伐と
したもの、時には穏やかなもの)が大きな要素として作用しているだろう。

■ 私的おかわり論:フユキ肯定説
以上の「疑似家族のドラマ」と「空気感の表現」が『みなみけ』の特徴であり魅力である
というのが私の仮説である。では『みなみけ おかわり』において、賛否の出るところだが、
この要素は欠けていなかったと思う。そして、そのキーパーソンとなるのがフユキである。
周囲の意見を聞くところによると、彼の不要論が非常に多いとされているようだ。しかし、
私はフユキが1期におけるマコちゃん、冬馬と比較することで一つの見方が変わってくる。

前述したとおり1期は世界観という外枠を排除し、マコちゃんや冬馬といった外部のキャラ
を疑似家族として南家に埋没させるという徹底的な内枠を描いてきた。これに対して、2期
「おかわり」におけるフユキは南家に溶け込むことなく、南三姉妹のもとを去っていった。

遠方から三姉妹が暮らす街に引っ越してきた彼は、周囲に溶け込もうと地域の活動や仕事を
手伝うことになる。彼は周囲に対して、働き者として認知されていくが、どこかで見えない
壁を作っているようにも見受けられる。このフユキの心の壁を取り除こうとしていったのが、
三姉妹であった。それは三姉妹の世話好きというより、1期と変わらぬオープンマインドな南家
のスタンスである。1期はそれを内部に埋没するキャラを通じて描かれていたが、2期はフユキ
を通じて外から描くことで、南家の目に見えない空気感を表現することに繋がったのではないか。

■ まとめ
2期におけるフユキは「みなみけ」になかった外部性を担保する存在ではないかと私は考える。
そして、仮説における「空気感」を目に見える形で表現したという意味で、私は「おかわり」も
評価できる作品だと思う。映像作品の中で「目に見えないものをどう表現するか」というのは
一つの課題となってくると言われているが、この「空気感」の描写として、エポックメイキング
と位置付けることが可能ではないか。「みなみけ」は1・2期セットで評価すべきだと思う。

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