P候補生は新曲CDという“エントリーシート”を手に入れよ(週プロ風)
2008年12月11日 音楽
何とも不謹慎な。ターザン全盛期ならこれくらい書きそうだと妄想。
別記でベスト盤発売に際して、私見を書いてみたんですが、
アイマス第1部の終了で、第2部の開幕の期待を書いていた。
そんな、期待と幻想を込めたSPシリーズの序章が今回の新曲2本である。いよいよ本番近し。
他の先輩方も書かれているので、私は気づき程度に。
『Colorful Days』はたしかに『リニアモーターカー』っぽい。冒頭のメロディとかは近い。
あと、歌い出し及びサビのところのVoのはずし方が中田ヤスタカPっぽいアプローチだなぁと。
この曲は『THE iDOLM@STER』→『私はアイドル』→『i』という私が勝手に「アイドル3部作」
と名付けている曲たちの後継曲にあたりますかね。つまり、そのシーズンごとのテーマソング。
カバー「サイレントナイト」はVo起用がすごい上手い。プロデュース側、本当にすごい。
特に、仁後ちゃんも印象深く語っていたが、やよいは「やよし!」と思った。意外性たっぷり。
『オーバーマスター』『Kis』は現行のJ-POPトレンドにやや近い、そんなサウンドワーク。
765サイドはこれまでのアイマス楽曲の流れを汲んだ良さがありますが、961サイドは本格派と
しての印象を感じました。私見ですけど、美希って幼さはありますけど将来性はエロカッコイイ
の片鱗があります。ですから、今回の曲を歌い上げている美希なんかからは
「カッコいい姉ちゃんがカッコいい歌を歌うと、こんなにカッコいい」※
の未来予想図を見た気がします。ハラミーとヌーヌーも初レコにしては出来杉君ですね。
流石はオールラウンドプレイヤーに定評があるアーツ声優ですね。ポテンシャル高すぎです。
てなわけで、幻想は高まりました(笑)まさに、就職活動で各事務所の入社説明会に参加して
エントリーシートを手に入れた感じですね。さぁ、SPで始まるプロデューサー生活という、
エントリーに備えましょう。私も遅れないように「がんばります」(アケ版やよい風)
※:元ネタは先日聞いていたラジオ番組で、約5年前に最先端レベルのハウスサウンドを
歌い上げていた片瀬那奈評(ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル11月29日放送)
============================
ええ、弟子さんありがとう。
弟子さんへの返答は、論文中もあって思考展開が弱まっているので、現段階では
今後の対話を通じて話し合うためのたたき台程度の前提や理論補強を書いておきます。
■ 前提:みなみけ論における私の視点
弟子さんは作り手である監督、スタッフの部分を考えた上で論証を書いてくれました。
一方、私は不勉強なものでスタッフや制作会社についての知識は皆無です。監督もです。
ですから、今回のみなみけ論の前提はグラッデン的に「この作品をいかに見たのか」
という視点で構成してたので、知らないスタッフや監督の技量を過信もしていなければ、
過小評価もしていません。スタッフの技量に関しては弟子さんの論説のほうが正しいかと。
なので、本論は時折、私が書くような徹底的なスタッフインタビューや識者の意見を参考に
書いた「作品論」よりは浅いが改めて自分の見方というのをフルに使って考えて書きだした
「解釈論」として位置づけていただければと思います。そこは混同していたのかもしれん。
また、本論文における問題意識は「何故、みなみけおかわりの否定意見が多いのか」
という飲み会での出来事が契機で、否定論の根底たる「フユキ否定論」を読み説いていこうと
いう狭まった形でのアプローチ方法を採用した上での「解釈論」だと今になって述懐してます。
そうした意味では弟子さんの否定論のほうが非常に幅広い見識から述べていられますし、
細部まで検証しているという点でより優れた「作品論」として位置付けるのではないかと。
■ 補論:私論における「空気感」について
私が定義した「空気感」というのは弟子さんが仰るように、どんな年代でもあると思います。
不勉強なりにいい年してアニメを見てきた人間なので古い年代の作品でも私的にはありました。
例えば、昨年あたりに私が見て感激した『魔法のスター マジカルエミ』なんかは80年代後期の
スタジオぴえろ魔法少女シリーズですが、その綿密なまでの心理状態を含めた描写については、
独特の空気感を作り出し、魔法少女というジャンルの枠組みを超えた名作として評価してます。
なので、私が「空気感」を取り上げた理由は本論で書きましたがトレンド分析という仮説です。
特定の層(まぁヲタ)に支持される作品のトレンドが、コミュニティ系から空気系に移るのでは
ないか、と。少なくとも、コミュニティという空間に依存する形態から少しずつ変化がきたして
いるのではないかという見解です。また、空気感の表現というのは結果的にコミュニケーションによるところが大きいとも考えるので、ループしてトレンドが再びキャラ依存に戻るかもとも。
それで、本論で何が言いたかったのかといえば「みなみけ」が支持された魅力はキャラでも、
コミュニティでもなく、それらが総合的に作り出された空気だったのではないかという見立て
があったからです。その位置づけとして、ありふれた言葉ながら「空気感」と定義づけました。
現段階ではここら辺が弟子さんの指摘に対して、説明不足だったなという部分と気づきです。
弟子さんの論説における本旨についても改めて私見を述べたいなぁ、と思いますが、飲み会か
文章でまとめればと。
別記でベスト盤発売に際して、私見を書いてみたんですが、
アイマス第1部の終了で、第2部の開幕の期待を書いていた。
アイマスはゲームだ。実際のアイドルみたいに
電撃結婚があったり、トラブルがあるわけではないから、
アイドルファンから見れば「安全で痛い」という批判もあるだろう。
でも、気持を言えば、ユーザーもまたユーザー側からも努力を
しているし、メーカー側にも意欲をもって取り組んでいる。
信頼関係があると思う。メーカーの誠意がなければ、信頼は無くなるし、
ユーザーに甘える体制になってしまえば、それは裏切りでしかない。
その構造は虚実を越えて同じであると思う。何よりも私は「アイドルとは何か」
というのを今一度、考えるメソッドとして取り組んでいこうと捉えているから、
私はアイマスを続ける。そして、SPに思いをはせているのだ。
第2部、新たな物語の始まりを期待している。
(筆者:11月25日エントリーより)
そんな、期待と幻想を込めたSPシリーズの序章が今回の新曲2本である。いよいよ本番近し。
他の先輩方も書かれているので、私は気づき程度に。
『Colorful Days』はたしかに『リニアモーターカー』っぽい。冒頭のメロディとかは近い。
あと、歌い出し及びサビのところのVoのはずし方が中田ヤスタカPっぽいアプローチだなぁと。
この曲は『THE iDOLM@STER』→『私はアイドル』→『i』という私が勝手に「アイドル3部作」
と名付けている曲たちの後継曲にあたりますかね。つまり、そのシーズンごとのテーマソング。
カバー「サイレントナイト」はVo起用がすごい上手い。プロデュース側、本当にすごい。
特に、仁後ちゃんも印象深く語っていたが、やよいは「やよし!」と思った。意外性たっぷり。
『オーバーマスター』『Kis』は現行のJ-POPトレンドにやや近い、そんなサウンドワーク。
765サイドはこれまでのアイマス楽曲の流れを汲んだ良さがありますが、961サイドは本格派と
しての印象を感じました。私見ですけど、美希って幼さはありますけど将来性はエロカッコイイ
の片鱗があります。ですから、今回の曲を歌い上げている美希なんかからは
「カッコいい姉ちゃんがカッコいい歌を歌うと、こんなにカッコいい」※
の未来予想図を見た気がします。ハラミーとヌーヌーも初レコにしては出来杉君ですね。
流石はオールラウンドプレイヤーに定評があるアーツ声優ですね。ポテンシャル高すぎです。
てなわけで、幻想は高まりました(笑)まさに、就職活動で各事務所の入社説明会に参加して
エントリーシートを手に入れた感じですね。さぁ、SPで始まるプロデューサー生活という、
エントリーに備えましょう。私も遅れないように「がんばります」(アケ版やよい風)
※:元ネタは先日聞いていたラジオ番組で、約5年前に最先端レベルのハウスサウンドを
歌い上げていた片瀬那奈評(ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル11月29日放送)
============================
ええ、弟子さんありがとう。
弟子さんへの返答は、論文中もあって思考展開が弱まっているので、現段階では
今後の対話を通じて話し合うためのたたき台程度の前提や理論補強を書いておきます。
■ 前提:みなみけ論における私の視点
弟子さんは作り手である監督、スタッフの部分を考えた上で論証を書いてくれました。
一方、私は不勉強なものでスタッフや制作会社についての知識は皆無です。監督もです。
ですから、今回のみなみけ論の前提はグラッデン的に「この作品をいかに見たのか」
という視点で構成してたので、知らないスタッフや監督の技量を過信もしていなければ、
過小評価もしていません。スタッフの技量に関しては弟子さんの論説のほうが正しいかと。
なので、本論は時折、私が書くような徹底的なスタッフインタビューや識者の意見を参考に
書いた「作品論」よりは浅いが改めて自分の見方というのをフルに使って考えて書きだした
「解釈論」として位置づけていただければと思います。そこは混同していたのかもしれん。
また、本論文における問題意識は「何故、みなみけおかわりの否定意見が多いのか」
という飲み会での出来事が契機で、否定論の根底たる「フユキ否定論」を読み説いていこうと
いう狭まった形でのアプローチ方法を採用した上での「解釈論」だと今になって述懐してます。
そうした意味では弟子さんの否定論のほうが非常に幅広い見識から述べていられますし、
細部まで検証しているという点でより優れた「作品論」として位置付けるのではないかと。
■ 補論:私論における「空気感」について
私が定義した「空気感」というのは弟子さんが仰るように、どんな年代でもあると思います。
不勉強なりにいい年してアニメを見てきた人間なので古い年代の作品でも私的にはありました。
例えば、昨年あたりに私が見て感激した『魔法のスター マジカルエミ』なんかは80年代後期の
スタジオぴえろ魔法少女シリーズですが、その綿密なまでの心理状態を含めた描写については、
独特の空気感を作り出し、魔法少女というジャンルの枠組みを超えた名作として評価してます。
なので、私が「空気感」を取り上げた理由は本論で書きましたがトレンド分析という仮説です。
特定の層(まぁヲタ)に支持される作品のトレンドが、コミュニティ系から空気系に移るのでは
ないか、と。少なくとも、コミュニティという空間に依存する形態から少しずつ変化がきたして
いるのではないかという見解です。また、空気感の表現というのは結果的にコミュニケーションによるところが大きいとも考えるので、ループしてトレンドが再びキャラ依存に戻るかもとも。
それで、本論で何が言いたかったのかといえば「みなみけ」が支持された魅力はキャラでも、
コミュニティでもなく、それらが総合的に作り出された空気だったのではないかという見立て
があったからです。その位置づけとして、ありふれた言葉ながら「空気感」と定義づけました。
現段階ではここら辺が弟子さんの指摘に対して、説明不足だったなという部分と気づきです。
弟子さんの論説における本旨についても改めて私見を述べたいなぁ、と思いますが、飲み会か
文章でまとめればと。
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