爆弾男

2008年11月26日 日常
毎月楽しみにしているG+のプロレスクラシック、ダイナマイト・キッドすげぇ。
昔のプロレスは今見るとスローにみえるなんていわれるけど、そんなことない×2。
50年代のアメプロなんかもショーマンシップが垣間見えるようになっているけど、
結構動きは速くて、ダイナミック。WWEもクラシックのばかりに見ている感じです。

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最終回:ダン・グラッデンPが語る「亜美・真美 非アイドル説」


女優やアイドルの初期イメージというのが演じた役柄や歌った楽曲の内容で構成される
というのは、異存のないところだろう。もしくは、バラエティ番組における「キャラ付」
によってカテゴライズされるという傾向が近年では目立っている。そう考えてみると、
その時代の中で生まれた作品・楽曲に求められる女優やアイドルが、時代性を投影する
のではないだろうか。これが、整理するところの私のアイドル研究における仮説である。

余談になるが、筆者がアイドル声優を含めて声優に興味を持つようになったのも、
当初はアニメ作品と時代の流れの関係性から作品論 → 作品に求められるキャラ分析
→ 演じ手の声優像という流れで行き着いたのが原点である。観察対象の前提である、
作品論が崩れつつあることが、声優への意欲が薄まっている理由の一端と自己分析している。

本題にもどすと、今回、私が取り上げる亜美・真美はゼロ年代のアイドルではないと
考えている。つまり、来るべき十年代のアイドルなのである。亜美・真美にとって
仕事は学校の友達は知らない遊び場であり、事務所の人々や他のアイドルもまた
友達のように接する(先輩格に当たるアイドル、プロデューサーや小鳥さんといった
会社側の人間をあだ名で呼ぶことからも推測することができるだろう)ように見える。

アイドルの仕事が彼女たちの将来を何ら保障するものではないと同時に、U-12という
年代は簡単に軌道修正できることも意味する。亜美真美が今後、どのような経験をして、
そして本当の意味でアイドルとなりえるか、アイドルという梯子を外してしまうことも
リアルでは考えることができるのだ。だから、P側は二人の保護者という視点が強くなる。
これまでに用いてきた「愛でる」であるとか「見守る」とは違った、強いて言うならば
「かまう」という表現がいいのかもしれない。


そんな私が考える亜美真美ベストは、基準を設けることが野暮だということもあって

該当なし(決して下手であるとか、そういうわけではない)

ということで締めておきたいと思う。

発売から1週間を経て何とか企画は終了。最後は力技と散文的な表現で逃げまくりましたが。

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アニメ

■ プリキュア5gogo
9月から11月あたりまでの放送を見終わって「ファイブDEチャンス(前編)」と
今週の「うららの歌声をとりもどせ」が良かった。次点は「ハッスルうらら」ですかね。

私的に今シリーズではうらら回は当たりが多い気が(見当違いだったら申し訳ないです)
天野由梨さんがゲストでうららの同級生やってたのはある意味では大当たりでしたが。


アニマックスで今更「かんなぎ」7話見たんですが、こういう伏線の張り方は好きですね。
見方によっては、つまらないかもしれないですが、シナリオの回し方は非常に好印象です。


あとDVDで「みなみけ おかわり」見終わりました。感想をはてな用に下書き書いてます。
私見の前提として1期における私の論説を基盤にして考えると、私はフユキ肯定です。

ということで、弟子さんにも自分の言葉・意見と、求められたので頑張って自分の言葉で

有言実行の意味合い込めて「フユキ肯定説に立った上でのみなみけ おかわり論」と予告。

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